福井県ボッチャ協会 会長
ボッチャ 尾崎充弘
パラスポーツ「ボッチャ」との出会いは、私にとっては受け身であり消極的なものでした。
私には車いすで生活する肢体不自由のこどもがいて、福井特別支援学校へ現在も通っています。
7年前、学校で保護者も参加できるボッチャ体験会があり、
私と妻もたまたま予定が空いていたので参加することにしました。
そのころ私はボッチャと聞いてもどんなスポーツかもわからず、
当日にボッチャのボールを見て「このスポーツ見たことがあるような、ないような」
という程度の認識でした。
後で知ることになるのですが、ボッチャを指導しに来られた方は
パラリンピックのメダリストをコーチしている方でとても熱心に教えていただいたせいもあり、
実際に私も練習や試合をしながらボッチャの魅力を知ることになりました。
ボッチャは脳性麻痺や筋ジストロフィーの方のために考案された競技ですが
「ボールを思ったところへ投げる」だけでなく
「思ったところで止める」という点が今まで私が経験したスポーツにない難しさで、
初めて体験する人にとっては大人も子どもも、
健常者も障がい者も関係なく楽しめるスポーツと感じました。
私の子どもは肢体不自由でうまく手や足が動かせないのですが体を動かすこと自体は好きですし、
親としてもスポーツや体を使ってしか学べないこともあると考えていたので、
「このスポーツならがんばることができるのではないか」と、そのとき思いました。
体験会も終わり、みなさんが帰っていくなか私は子どもを体育館のトイレへ連れていきました。
トイレから出ると妻が複数人の大人たちに囲まれており私も話の輪に参加して
体験会の感想やボッチャのおもしろさについてみなさんとお話ししました。話の最後で、
「ボッチャクラブを作ろうよ」という話になり、
学校でボッチャを部活としてやっていただけるなら素晴らしいことだ、そう思っていると、
「尾崎さん会長やって」という言葉が出て、内容がよく理解できないと思っていると、
どうやらボッチャクラブは学校の部活ではなく、
休日に体育館を利用してボッチャをしたい人のための場を設ける組織のことでした。
丁重にお断りするつもりでしたが、
子どもがボッチャをできる場があればいいなという想いと周囲の大人たちの圧に負け、
引き受けることになりました。
それから1年が経ち、
福井県では全国障がい者スポーツ大会が行われる年になり東京パラリンピックも控え、
福井県ボッチャ協会を作ろうという流れになりました。そこで「ふくいボッチャクラブ」で
名ばかりの会長をしていた私に福井県ボッチャ協会の会長の打診があり、
私はまた同じ理由により消極的姿勢で承諾しました。
私は心の中で「ボランティアでパラスポーツに携わることができるのはいいことだけど、正直忙しいしなあ・・・」
という想いが半分以上を占めていました。
実際、福井県ボッチャ協会が動き出しても私は可能な限りの活動しかできていませんが、
昨年から事務局も兼任するようになって練習会に参加する頻度も増え、
裏方の事務仕事にも携わり、以前よりも協会での仕事に前向きになりました。
そして、自分の子ども以外の障がい者との関係が以前よりも多くなったり、
協会でサポートしていただいている役員の方たちのボランティアに対する姿勢だったりを見ていて
自分の考え方に少し変化が現れたように感じます。
私は子どもが生まれるまでの障がい者との関わりは、
「道で困っている人がいたら助ける」といった程度で積極的にこちらから関わることはありませんでした。
子どもが生まれ、障がいのある子どもを支援していただける人たちが周囲に増え
「障がい者と関係のある人」とはたくさん知り合うことができました。
子どもの学友として障がいのある子どもや親御さんとも知り合うことができました。
しかし、子どもが障がいがなく生まれてきていれば障がいのある人やその周囲の人たちと
自分は接点がなく暮らしていたのではないかとも思います。
ただ、「その接点をもっと増やせば障がい者と健常者とがより共生する社会が生まれるのではないか」
協会での活動を続けていく中でそう考えるようになりました。
いろいろなところでバリアフリーが進み、
障がい者が住みやすく社会に参加しやすい環境を作るというハード面ももちろん大切です。
しかし、いま自分にできることを考えるとパラスポーツのボッチャを通じて
健常者に障がい者のことをもっと理解してもらう「きっかけ」を作ることぐらいです。
ボッチャというスポーツを知ってもらったり体験してもらうことをきっかけに
パラスポーツや障がい者そのものを知ってもらいたい。
ボッチャをがんばっている選手を応援したいという人が増えたり、
いっしょにプレイしたいという人が増えれば、その先にはいっしょに何かをする楽しさを共有し、
いっしょが当たり前のことになるような社会が来るのではないか。
個人の力では無理でもそういった思いの人たちがたくさん集まって同じ方向を向いて助け合えれば、
ボッチャという誰もが楽しめるスポーツを通してそういった地域や社会が作れるのではないか。
今はそんな気持ちを原動力に努めています。
おおげさなことを書きましたが、
そんなことができるかもしれない協会の仕事の一助を担わせていただいていることに感謝し、
もう少しがんばって協会の仕事をしようと思います。